人は眠りについている時悟りを開いているのかもしれない
私はここ最近とにかく眠くて仕方なくてですね、もう暇さえあれば直ぐに寝てしまうんですよ。体が疲れているのかなーと思ってた時期もありましたがただの怠け者ですねはい。
さて、それでつい昨日見た夢を何故か鮮明に覚えているんですよ。明晰夢とか予知夢とかそういう大した物ではなく、夢特有の訳分からないめちゃくちゃな夢でした。
私は見ず知らずの女性に相談事をしていたんですよ。一体どんな相談かというと……
「最近、アヒルのおもちゃが僕を見守ってる気がするんです」
は?
なんだよ…………いきなりやべえ相談してんじゃねえか。精神科にでもいるのか俺はよ〜。ちなみにアヒルのおもちゃというのは風呂に浮かべるおもちゃです。
さて、ここで私の話を聞いていた女性は何故かうんうんと頷くと
「愛されているのね……」
おめえも大分やべえな
愛されてるってなんだよ、アヒルのおもちゃに愛されるってなんなんだ………いや、見守られているの時点で意味不だけど。
謎の質問をした私の話に謎の返しをする女性、話が途切れて一瞬沈黙するもつかの間、私の腰あたりに鋭いタックルを食らわせて何者かに押し倒されたのです。
誰かと思い、タックルを仕掛けた人の方を見ると
腰に便座を巻き付けた女? でした。あーもうめちゃくちゃだよ。
しかし、私はこの便座野郎を見てハッとするのです。こいつは、間違いなく俺を見守っていたアヒルのおもちゃだと………
いや、そうはならんやろ。
私が覚えているのはここまでです。夢特有のカオスっぷりが目立ちますね。夢って実はまだわかっていないところがあるそうで、何故人が夢を見るのかわかっていないそうです。
ただ、思うんですよ……人は寝ている時、悟りを開いているのではないかと。
考えてみてください。上記の夢の内容からして、誰が見てもカオス、無条理、意味不明に満ちているわけです。しかし、夢の中で私はそれらに対して何一つ疑問に思わず、受け入れているんです。
それが一体何を示しているか、それすなわち無我の境地に達しているんじゃないかな、と。
否定が存在しない、それ即ち自らの価値観と照らし合わせず、ただただ受け入れる。つまりそこに私はいるようでいない、まさに夢。
まあつまるところ何が言いたいかといえば、悟りを開きかけている私に会社は無期限の有給を与えるべきだということです。マジで眠いんだよ最近。